人は常に評価されていると仮定する

最近なんとなく思うことは

人は常に周りに見られているんだな

って思います。

会話の内容とか、リアクションとか、服装とか、

休日何してるとか、どんな友達がいるとか、

ふとした時の仕草みたいな些細なことまで。

それを見て想像するんだと思う、

この人はどういう人なんだろうって。カッコいいとか面白そうとかって。

意識的にも、無意識的にも、誰でもしてるし、されてるってこと。

だからカッコつける、よく見られようとする

こちらも意識的にも無意識的にも。

でも、上手くいかないんだよねえ、なかなかねえ

そんな無意識に囚われた世の中なんだろうな

一個一個考えていったら、疲れちゃうね、参ったね

そんなことを気にしないで、「俺は俺だ!」って言える、真っ直ぐな強さが眩しい。

でもそんな勇気がないから、せめて、人は常に評価されていると仮定して、それを意識して生きていくしかないんだろう

すごく疲れそうだけど。

「この世に、やましいことがない人間なんているのか」

そんな人いないとおもうし、きっと面白くないよ

大人のOB訪問、はじめました

こんばんは、こしみずです。

 

いよいよ寒いですね、
今日はセンター試験だったみたい、
考えるともう5年前。

一日は長いけど、一年は早い。
人間って不思議。

 

 

 

 

最近、就活中の後輩にOB訪問させて!って言われて、
そんな偉そうなやつ出来ないからって言って、会って、気軽に話して。

自分も2年前、OB訪問してたなーって思い出してた。

 

その時お話させてもらった社会人の方々は
親切に、笑って、生き生きと仕事の話してくれてたなーって改めて思う。

これから社会に出ようとしている就活中の若者に、
今後向かう先が決まっていないという不安と、
無数の可能性に溢れている隠れた希望と、
毎日必死に向き合っている就活生に、
意識せずとも少しでも社会ってそんなに悪くないんだぞって、
言ってくれていたのかなって思う。

 

多分、意識してなかったと思うんだけど、
明るい話とか、いい話とかしてくれてたんだろうなーって思う。

 

 

 

 

 

 

 

自分が社会人になってみて、

やっぱりきついこと多いなって思う。

多分、会社辞めたいって思ったことが
人生で一度もない人なんて居ないんじゃないかって思うくらい
誰だって一人一人隠した辛さがあるもんだと思うんだ。

毎日前向きに会社に行けてない自分がいる。

会社辞めて、
南の島で一日中だらーっとしてたいとか、
明日のことも考えずに日々を過ごしたいとか、
学生のころに戻りたいとか、
そんなことを思いながら毎日を必死に生きてる。

 

 

 

 

 

でもだいたい1年目なんてきついみたいよ。

面白いことなんてそんなにないらしいよ。

しかも、1年も経たずに、ただ今の現状が辛いから辞めるやつなんて、
他行ったとしてもどーせまた同じことって、俺は思う。

人間、向き不向きもあるし、
本当にやりたいことが他にあってとかもあるし、
たまたまチャンスに巡り会ってとか、

そういう前向きな理由だったら本当にすごく良い選択だと思うんだ、それは。

でも、そういうのじゃなければ、俺のはそういうのじゃないから、
こんな所でくじけちゃだめだって思う。

 

 

 

 

そして何より一番感じるのは、

ここで辞めたら、逃げたことになるってこと。

 

人から逃げたとか思われるとしても、それはどーでもいいんだ。

でも、自分の中で、いくら前向きなもっともらしい理由を付けてみても
自分の中で「逃げた」っていう記憶が今後一生残り続けると思う。

そういうことは自分が一番分かってる。
今考えてるのは、「逃げ」以外の何物でもない。
自分の中で納得いっていないところがあるんだと思う。

 

記憶って、合理化は出来てもさ、すぐには消せないから、
自分の中で「逃げた」経験をこんなところで作りたくない。

 

 

 

 

だからまだまだ頑張ろうと思います。

逃げたくない。負けたくない。
意地だよね、こうなったら。

 

 

 

 

 

でもさ、
もっと前向きな理由で頑張って日々を過ごしていきたいって思うんだ。

このままだとそれがない。
自分に負けないために日々を生きてるって言うのも、
なんか悲しいことだなって思う。

せっかく日々の大半を過ごすのであれば、
もっとさ、前向きで明るくなるような理由で、過ごしていきたいじゃん。

 

 

でも、残念ながら、現状の自分では、それが浮かばないんだ、何一つ。

 

 

 

 

 

隠した辛さなんて誰だって持ってると思う。

 

それだったら、先輩たちは、
どんな理由で毎日の多くの時間を費やして働いているんだろう。

働くモチベーションって何なんだろう。
何のために働いているんだろう。
お金?評価?能力を付けるため?夢に近づくため?世間体?

そして、何がモチベーションで、生きているんだろう。

 

 

 

 

自分のことって、自分が一番知ってるんだけど、

知ってるようで、知らない。

差異を認識することで、そこに情報が生まれるんだって。

人との差異を考えることで、自分が浮かび上がってくることって多いと思うんだ。

誰かとの差異がどこにあるのかが分かれば、
自分の今の状況が恵まれていると気づくかも知れない。
こういう考え方もあったのかって、気づけるかも知れない。

 

 

なんだか、そんな違いを教えてもらいたいって思う。

そうすれば、自分を少し客観的に見れて、
色んな考えとか生き方がこの世にはあって、
それを知ることで、何かしらの影響を受けられるかも知れない。

少しでも前向きに日々を過ごせる理由のヒントが、見つかるんじゃないかって思う。

 

 

 
就活生でもなんでもないし、
俺ももうすぐ2年目になるんだけど、
そういう意味ではもういい大人なんだけど、
あの頃みたいに、OB訪問がしたい。

隠した辛さと共存して、日々を生きている先輩方から、
色んなお話を聞きたい。

 

 

 

そしてその時には、
あの頃聞けなかった隠した辛さも含めて聞きたいんだ。

希望に目を輝かせていた就活生には言えないことも、
もう社会に出ている人になら話せる話もあるんじゃないかって。

良い面も悪い面もあるって、十分分かったから。
今はもっと現実的な、悪い面も聞かせて欲しいなって思う。

 

 

 

 

 

逃げたくない、自分に負けたくない。

だから自分が心の底から納得するまでやる。

そして、やるからには前向きに、楽しんで仕事がしたい。

そのヒントを、先輩から、少しでも盗みたい。

 

 

 

 

大人のOB訪問、始めます。

どんな業界でもいい、日々を色々な思いを持って頑張っている社会人の方、
僕にお話聞かせて下さい。
僕に笑顔のヒントを下さい。

2014年との2つの約束

明けましておめでとうございます。

2014年うま年、ということで、
なんと、年男です。
良いことあるといいなー

 

 

今年の年明けはなんだかずーっと笑っていました。

腹痛くなるくらい笑って新年向かえて、
でもその後たまらない自己嫌悪と、続かないであろう幸せに包まれた元旦になって、
波瀾万丈な2014年の幕開けです。

散々な幕開けだったけど、
今年もいろんなことが起こる、そんな予感しかないです。
ワクワクしますね。

 

 

 

 

昨年も小清水に関わってくれた方々、
本当にありがとうございました。

皆様のおかげでまた「人生の最高の1年」を更新できました。
正直くっそ辛いこともあったけど、
その分楽しいこともあったし、
何より今まだ健康でこうやって生きているから。

周囲を少しでも笑顔に出来る様な、そんな1年に今年もしたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

そんな2014年、今年の自分のテーマはこの2つにします。

 

「今持っているものを大事にすること」「季節に敏感でいること」

 

 

 

今「持っているもの」を大事にしようって急に思いました。

じゃあお前は何を持っているんだって言われたら、あんまり自信ないけど。

「持っているもの」って例えば
今まで出会った色んな人との関係だったり、
今までに読んだ本だったり、
今までにやってきたことだったり、
今までの大切な思い出とか、記憶とか、場所とか、
そういうこと。

 

大学1年の9月から、自分なりに頑張って走って来ました。
色んな経験をしたいって思って、
「経験への解放性」を大事にしようとして、
とにかく1歩目を出せば、後は付いてくると思って。

そうやって色々な人に出会いました。
様々な影響をもらいました。
辛い経験も、素晴らしい景色も、もらいました。
自分という人間がだんだんと分かって来て、
そのたびに幻滅して、
それでも少しずつ自分を認めてあげられて、
変わろうと、自分なりにやって来ました。

 

 

常に前を向いて、色んな場所に飛び込んでを繰り返して、
それでいいんだって思ってた。

それで色んな所に迷惑もかけてたと思う。
サークルとかバイトとかゼミとか、居なきゃいけない場所に、居れないこともありました。

後ろは振り返らずに、見方によっては色んなものを捨てて、
新しいものを求めていたんだと思う。

 

 

 

 

でも、なんだか最近は、
自分なりに走り抜ける中で通ってきた景色の中に、
大事なもの見落としてしまってるんじゃないか、
忘れていってるんじゃないか、
そして落としていってるんじゃないかって思って。

一回振り返って改めて見たら、すごく素敵なものだってあるんじゃないのか

そんな風に思えて来ています。

 

そして何より、今持っているものを大事に出来ない奴に、何が出来るんだってこと。

 

だから今年は、
今まで出会って話してきた人との関係も、改めて大切にしたい。
今まで読んだ本も、改めて読んでさ、
色んな学びももう一度自分の中で咀嚼し直して、また考え直して。

小清水翼という人間を今までつくってきてくれた人・もの・ことを
改めて振り返って、見直していきたいって思っています。

 

先を急ぐ年ではなく、今俺の近くに居てくれてる人や物を
すごく、すごく大切にする年にしたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ。
季節に敏感にいたいって思います。

去年の秋はコキアを見に行こうと思ってたのに、すっかり忘れていました。
この前みぞれが降っていて、それを見て寒そうとしか思っていない自分がいて、
空とか好きなんだけど、その色の変化にも気づけなくなってる。

 

心が何かで一杯一杯になってるんだと思う。

心の余裕が全くなくなってしまっていた。

感性がすり減ってしまっていた。

 

 

季節に敏感でいられるような、心のゆとりを持って生きていきたい。

時間のゆとりは社会人だしあまりないのかも知れない。
だけど、心のゆとりは持てるはず。

それがないとさ、
新しいこととか、ワクワクする発想とかって生まれにくい気がするんだ。
楽しむ気持ちも、遊びゴゴロも、笑顔も、感性も、
どんどんすり減ってしまう気がして。

 

 

 

日々の小さな変化にも、
見逃してしまいそうな些細なことにも、
気づいて笑顔になるような、心のゆとりを持って今年は生きたい。

そして欲を言えば、
その気づいたことを、
誰かに「ねえねえ!」って話してあげられるような、
そんな心のゆとりを持っていたい。

 

 

 

 

 

今年はそんな2つのことを意識しながら生活していきたいと思います。

 

遊びゴコロを大切に、
常に笑顔を忘れず、それを人にもあげられるような、
そして心は常に「外」に開いていて、
直感に従う行動を大切に、
やると決めたことはどんなことがあってもやる、
何事も楽しむ努力を怠らない、
前向きなバカでありたいです。

 

 

 

こんな僕なので、ご迷惑をおかけすることも多いです。
それでも今年も頑張って精進していこうと決めました。

今年もこんな小清水ですが、どうぞよろしくお願いいたします!

言葉と経験のこと

お久しぶりです、こしみずです

 

久しぶりに書きたくなったので、書きます。

 

あ、先日23歳になりました。
早いものでもうそんなに生きているのかと自分でびっくりしました。
これからはもっと早く感じていくんだろうなあ

おめでとうをくれた方々、本当にありがとうございます。
幸せでした。

 

 

今日は「ことば」のこと。

 

自分の言葉で、少しでもいい、お金が稼げたらいいなって最近よく思います。

文章でも、コピーでも、口からでる言葉でも、何でも良いんだけど。

 

すごく「ことば」が好きです。
やっとそれに今年になって気づけました。
きっかけとか分からないし、どんな風に好きなの?とか言われても分からないけど、
とにかく好き。

 

 

 

なんか自分でもなんて表現していいか分からない感情の時ってない?

楽しいとか
切ないとか
辛いとか、

そういう言葉だけじゃ表現出来ていないんだけど、
なんて言っていいか、その言葉を自分は知らないっていう感覚。

 

この前、すごいそういう時があった。

 

社会人になって大変で、自分の中では結構辛くて、
でも多分他の人からしたらそんなに辛いようなことしてないし、
そもそも辛いっていうかなんていうか、、、
その状況にしているのは自分が原因だしなあ

みたいな。

 

 

もやもやしてた。

でもそれを何となく自分の中でしっくりさせてくれる言葉があった。
見城さんっていう幻冬社っていう出版社を立ち上げた人が言ってた言葉だった。

 

その内容がどういうものかなんて、いいんだ。
状況が全く違うから、同じことを示している言葉では絶対にない。
それでもいい。

 

 

似たような感情を持って、それを言葉で表現してくれている人がいた、
そしてその言葉で自分の感情を表現出来た。

 

そんな「ことば」を思い出して、
その時の自分の感情・感覚に言葉を与えられてから、
気持ちがすごく楽になった。

状況は変わらないし、単純だと思うけど、
その「ことば」にすごく助けられた。

 

 

 

 

 

人間は物に言葉を与えて、名前を付けてきた。

 

生き物で4足で歩く、人になつくけど、よく吠えるものに
「犬」っていう言葉を与えた。

そういうルールを決めた、
それをみんなが守って、犬って呼ばれるようになった。

 

そんな風に言葉を使って区別して、その区別がどんどん細かくなって、
深く理解出来るようになって。

言葉によって理解できるようになった。

方言とかそういう違いはあっても、みんなが一つの言葉でそれを呼ぶ。

形があってみんながわかりやすいものには、そんなことが出来る。

 

 

 

 

 

でも形ないものに、言葉を与えるのって難しいと思う。

 

それこそ感情とか経験とか。

 

経験と言葉ってすごく結び付いてると思う。

 

 

経験しないと言葉で表現出来ないことばかり。
言葉にできるのはそのことや感情を経験したことがある人だけだと思う。

でもその経験も一人ずつ違うから、その言葉も少しずつ変わってくる。

 

 

その中でも、自分の経験とがしっと合った言葉に出会うと、
なんだかどきっとして、
もやっとした心が不思議とすっきりしない?

 

 

 

例えば、俺は会いたくて震えるって経験はないんだと思う。
全然どきっともすっきりともしない。
全く共感出来ない。

会いたいっていう感情を、
震えるっていう表現をするのにしっくりとこない。
多分、そう表現できる感情とは、少し違う感じ方をしてるんだろうな。

 

自分の経験に、震えるっていう言葉は結び付かない。

 

 

 

 

少し話は変わっちゃうんだけど、

例えば、
一流のサッカー選手がサッカーは素敵っていうのと、
高校1年生がサッカーは素敵っていうの、

2人が言っている内容が少し違っている気がするんだ。

 

経験しているものが違うから、言葉の重みが違う。

 

 

言葉と経験って関係してるんだよね。きっと。

 

 

 

言葉を豊にしたければ、様々な経験をすること。
言葉を重くしたければ、深い経験をすること。

ばいばいもらとりあむ

もう9月ですね。

 

最近会社でふざけて「こしずみ」って呼ばれます
小さく沈むと書いて「こしずみ」なんだそうです。笑

けどそれで名前覚えてもらえるからいーか!

 

 

 

 

 

今日は最近のことを。

 

長い長い研修・実習が終わり、9月から本配属となりました。

 

 

 

社会人になり5ヶ月か経ちました。
会社で働いてみて、おっきく2つのことを感じました。

 

 

会社のことと、自分のこと。

 

 

僕が働いてる会社。

 

ずいぶんと昔からある製造業。
ずいぶんと昔からあるものを作っていて、それはある意味時代の流れの中で消えつつあります。
その市場は縮小していて、景気もなかなか上を向かないし
このままいけば設備や人材を持ち、大きくなった会社は、
(大きい分体力はあるからすぐに潰れるってことは多分ないけど)
どうなっちゃうんだろう。

 

そんな会社です、分かってて入ったんだけど。笑

 

 

 

古くさい会社ということもあって、かなり「昔からのルール」が残ってる。
社内では普通でも、時代の流れに合わなかったり
合理的でないと感じることもある。

 

だけど、この会社の中では普通で。

 

そういう所に驚きながらも、それに慣れて来てしまった最近です。

慣れた方がストレスもないし、やりやすい。
だけど、慣れすぎるのもなんかよくないなあ、なんて。

 

 

 

そういう納得いかないこととかさ、
気も遣うし、
怒られるし、
夏休み学生の10分の1くらいだし、
朝起きるのきついし、
お昼過ぎは眠い時もあるし、
学生気分が抜けてないって何回も言われるし、
学生のときとは全く違う環境で、大変だけど。

 

そんな中でも、毎日笑って過ごしていました。

 

日々に喜びを見つけて、

人から見たら笑われるかもしれないけど、
本当に小さなことでも楽しいと感じられるのも才能だとおもうんだよね。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

最強だよね、もう

 

 

 

研修中というのもあったけど、
毎日会社に行くの、苦じゃなかったよ。

 

そんな自分がいることにも気付けました。

まだまだたくさんの初めましてがあるんだろうな。

 

 

 

 

 

そんなことを感じながらの5ヶ月でした。

 

とにかくね、今振り返ると楽しかった。

土日は学生の時より遊んでたのかも知れないくらい!

 

趣味追い人としていろんなこと始めたりもしたし、
逆に自分の中で折り合いを付けた想いもあったし、
同期も仲良くなれたし。

 

今年の夏は
海行ってー
花火大会行ってー
キャンプしてー
徳島行ってー
ラフティングしてー
サーフィンもしてー
サマソニ行ってー
熱海も行ってー
ビアガーデンも行ってー

もう、文句ないや。

 

 

会社に行くのも楽しかった。
あいさつしたら昨日より笑って返してくれた
そんなことで嬉しかった

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、知ってるんだ。

この5ヶ月なんて甘やかされていただけってこと。

 

研修ってすごく甘やかされてて、
こんなの仕事で会社でもなんでもなくて、
実際の恐さとか辛さなんてかけらも知らなくて、
責任なんてこれっぽっちもなくて、
だた甘えて、
座っているだけで、
やってって言われたことをこなして、
そんなのただの作業で誰でも出来て、
何も生み出していない、

 

 

研修なんて名ばかりの期間だったってこと。

 

 

さぼってた訳じゃなくて、色んなこと学んだよ。

でも多分、実践とは全く違う。

そういう意味では、学びきれなかった。

 

 

 

 

 

 

これからは正真正銘 真剣勝負。

甘えてる余裕なんて、一切ないよね。

 

 

 

 

甘えてたことは分かってた。
そんなのもう最後だと思ったから、
こうなればとことん甘えてやろうと思った。

この先どういう生活が待ってるのかは分からない。
大変なのは先輩を見ていれば分かるから、
こうなればとことん行くところまで行ってやろう。

 

 

 

前に友達が言ってた。
「能力がないとか機会がないとか色々言うけど、
実は本当にないのは、そういうものだけじゃなく
覚悟なのかもしれない」って。

 

要は覚悟。

やるか、やらないか。

覚悟は自分との約束。

 

 

自分との約束も守れないやつが、人との約束なんて守れるか
自分との約束も守れないやつに、自信なんて生まれるか

 

人との約束を守れないやつが、信用なんて出来るか
人との約束を守れないやつに、能力とか機会とか、生まれるはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばいばい、もらとりあむ。
そして、仲良くやろうぜ、社会人。

ああ

色んなことを捨てて、しばらくは仕事頑張ってみようと思います。

ゆーびきーりげーんまん!

人の本質をちゃんと見ること

こんばんは、こしみずです!

 

相変わらずの毎日を過ごしております、
まあまあ楽しく、そしてたまにしんどい日々。

そんなに悪いもんじゃないですね。

 

 

 

 

今日は、誰とでもフェアに接するって話を少しだけ。

 

 

就活をしてる時に、知り合った人に

「誰とでもフェアに接せるのすごいね」って言ってもらったことがあった。

あんまり人と壁を作らないで、偏見とかなく、誰とでも話せてたんだと思う。
自分では全然意識してないんだけど。

そんな風に言ってもらえて、すごくありがたかったし、今でも憶えている。

 

 

 

 

今でもそれが出来ているのかなってちょっと思って考えてみた。

 

イケメンであるとか
かわいいであるとか
太ってるとか
小さいとか
背が高いだとか
メガネだとか
猫背だとか

そんな見た目のことなんて関係ないと思うし、

 

どこの大学だとか
何歳であるとか
どういう会社に勤めているのかとか
役職がどーだとか
出身がどこだとか
どういう経験してきたとか

そういうバックグラウンドも「その人」という人間に、正直俺は関係ないと思ってる。

 

人と話したりするときに、自分の偏見とかさ、
そーゆーのなるべく入れたくないなあと思うんだ。

その人がどんな人なのかが知りたい。

その人がどんなことを思いながら日々を生きて、
どんなことに喜んで
どんなことに怒って
どんなことで笑うのか、

何が好きで
何が嫌いで
何を考えながら
何を目指すのか。

 

そういうことが知りたいなあって思う。

 

 

 

だから
イケメンだからなんでも許す、とか
身長低いからちょっとやだ、とか
猫背の人ちょっと嫌だ、とか

そんな風に見た目で人判断することは、したくないと思う。

そんな風な人は、ちょっと恐いなって思ってしまう。

 

 

バックグラウンドも一緒。

大学がどこだとか、
年上だとか、年下だとか、
どんな会社勤めているのかとか、

言ってしまえばそれはあんまり興味ないんだ。

だったら、どんな思いでその大学行ってたのかとか、
どんなことがしたくてその会社入って、どんなことを考えて働いてるのかとか、
そういうことが気になるんだよね。

そして、そういうの聞いてしまうと、
どっかしらで自分の中で、無意識的にカテゴライズしちゃうと思う。
そんなことしたくないと思うし、してないと思っているけど、多分してしまっていると思う。

そうやって偏見とか固定概念を前提として話しちゃったりするんだよなあ

それが自分でも嫌だから、あんまりそういうこと、最初は聞きたくない。

 

 

そんな風に思ってたのが伝わってかは分からないけど、
「誰とでもフェアに接してる」って言ってもらえたんだと思う。

ありがたいな、少しでも出来てたのかもしれないよ。

 

 

 

 

 

 

 

何が言いたいかっていうと、

見た目とか出身とか、自分の力で変えられないもので判断するのは
本当によくないなあって思う。

でも、そういうこと以外の、
自分で判断して、
意識的でも無意識にでも選び取ってきた道に関して言えば、
それはその人のことを知るヒントでもあるとも思う。

 

その人の判断だとしても、そこに自分の固定観念とか偏見とか入ってくると
それはまた問題。
それもよくないなあと俺は思う。

 

 

 

 

もっともっと、その人の本質と向き合いたい。

その人がどんな人なのかを、へんなフィルターを通さずに見たい。

 

そうやって生きて行きたいなあと思う。

 

 

 

だけど、ね、

多分こんなことを言っているってことは、
意識しないとそういうことをベースに人を見てしまいがちなんだろうと思う。

人を見た目で判断してみたり、
カテゴライズするのって
すごく楽で、わかりやすいんだと思う。

特に初対面で、相手のこと良く知らないような未知の人を前にすると、
そうやって今までの経験とかから、自分の知っている情報総動員で、
どんな人だろうって予想して、決めつけて。

 

 

 

ちゃんと、その人自身に、人のもっと根幹の部分に、

最近は、しっかり向き合えているかなあ。

 

 

 

この前友達に、そんなようなことを言われたから、自戒も込めて。

 

全ての人に、全ての物事に、オープンなマインドを持ち続けたい。
そう思います。

社会人、3ヶ月経って感じたこと。

こんばんは、こしみずです。

梅雨ですね。
でももう7月。夏だね、夏!

 

 

 

 

社会人になって、早くも3ヶ月が経ってしまいました。

 

 

 

ここ3ヶ月は
部屋をしっかり片付けて、
がつん!と辛いこともあったけど心にもしっかり整理つけて。
アプリで家計簿付け始めたら楽しくなってきちゃって無駄に出費増え、
ヤフオクやり始めたら楽しくなっちゃって無駄にものを買い。
ドラマの「モテキ」が見始めたら面白くて1日で全部見て。
3月から5キロくらい痩せて、
ボルダリングをやり始めて、
初めてサーフィンしたら楽しくて、
ドラムも少しずつ始めて、
最近は本ばっか読んでる、

そんな感じの最近です。

 

 

 

 

新生活にも慣れ始めて、少し心に余裕できてきたかなあって。

近況報告をかねて、3ヶ月働いて思ったことを。

 

 

 

 

 

3月末。
本当に嫌で嫌でたまらなかった。
社会人になんてなりたくないって。

毎日同じことを繰り返して明日が分かる生活。
就活は必死でやったのに、社会人にはなりたくないという矛盾。

 

 

 

いよいよ4月。
研修。毎日が嫌で嫌でたまらなかった。
朝起きるのも、行くのも嫌だった。

満員電車で潰されて、一日中講義を聞く。
毎日の楽しみなんて、ご飯と友達と連絡取るくらい。

配属も決まりました。
全く興味のない、むしろ避けたかった部署。

やりたかったことと一番遠いところ。すっとずっと離れたところ。
色んなことが分からなくなって、ぜーんぶアホらしくなった時もあったかなあ。

でも、受け入れることが出来ようと出来まいと、日々は進んでいきました。

 

 

 

まだまだ5月。
工場で働いた。

1年以上ひいていない風邪をひき、なんだかんだ一ヶ月くらい治らなくて
病は気からっていうのが本当なら、どれだけ嫌だったのかっていう話で。

 

 

 

 

それから6月。
やっと生活に慣れてきて。
すこーしずつ、前向きになれてきて。

やっと色んなことの心の整理がついて。
だんだんと、体と頭が時の流れの早さに追い付いて。

 

 

講義のような研修はもう終わって、今はOJTで勉強させてもらっています。

 

 

 

 

 

 

 

今はね、毎日が楽しくてしょうがない。ほんとだよ。

 

 

今一緒に研修受けてる同期はちんちくりんなやつらだけど、笑っちゃうほど大好きだし、

仕事教えてくれる人たちはかなりの年上だけど、色んなことを教えてくれるし、

やらせてもらえる仕事なんて本当に小さなものだけど、知らないことを知れるのは純粋に楽しい。

 

 

 

 

相変わらず満員電車は嫌だし、
朝だって眠いときは多いし、
理不尽なこともあるし、
怒られることもあるし、
将来について不安になることも多いし、
年齢がずっと上の先輩には気を遣うし。
昨日と言ってること違うじゃん!って思うこともあるし、
うわー俺こんなにも仕事出来ねえんだ、、、っていう毎日だし、
仕事早い同期にちょっとだけ嫉妬する時もあるし、
でも努力もせずに嫉妬とかしてる自分に気づいて嫌になるし、
くっそーでもぜってえ負けねえって毎日だけど。

 

 

 

 

それでも本当に、会社行くの楽しみなんだ。

 

社会人になって3ヶ月、
一番大事だなって思うことは「自分でいかに楽しむか」ってこと。

 

学生の頃とはやっぱり違うよ、
大変なこといっぱいあったよ。

言ってしまえば、毎日縛られることばっかだよ、学生と比べたら。

 

それでもさ、どうやってそれを楽しんでいけるか。
それだけなんだ、きっと。

 

 

 

灰色な日々に「楽しい」を一個でも見つけられるか、ってことだと思う。

本当にくっだらないことにも「面白さ」を見つけられたら、こんなにも良いことはないと思う。

 

 

 

だって、
仕事の合間で同期とちょっと話してるだけで楽しいし、
昨日より今日の方が、先輩が優しくしてくれたりとか、
先週出来なかったことが出来るようになってたりとか、
納得いかなかったことがすっきりしたりとか、
怒られても、次は同じミスしないで見返してやる!って思ったりとか、
話したことのない先輩に話しかけてもらったりとか、
金曜日の夜なにしようーとか、

そんなことが楽しくて、面白くて、嬉しくてしょうがない。

 

 

 

改めて書くとくだらなさすぎて自分でも笑ってしまうけど、

本当に自分はめでたい野郎でさ、何にでも楽しさを見つけられるんだなって思った。

良い意味でも悪い意味でもバカなんだね、多分。笑

 

 

 

 

 

 

でも、

こんな風にただ純粋に楽しいって言えるのは、多分研修が終わるまで。
ちゃんと分かってる。

 

だからこそ、今はそれに甘えて良いんじゃないかって思う。

 

 

 

 

 

そして研修が終わった後も多分またこの調子で、
数ヶ月したら、自分なりに楽しさ見出してる気もするから。

 

 

 

 

 

3月の自分に言ってあげたいのは、

社会人ってそんなに悪いもんでもなさそうだぞってこと。

 

「終わり」への意識

こんばんは、
ひさしぶりに書きたいことが出来ました。

 

 

 

 

昨日高校の同級生が亡くなったそうです。

 

 

 

お葬式にもお通夜にも行けなかったので、死因とか詳しいことは全く分かりません。
事故かもしれないし、病気かもしれないし、事件に巻き込まれたのかもしれない。
分からないけど、はっきりしているのは同級生の一人が亡くなってしまったということ。

 

クラスも一緒になったこともなかったし、クラスが離れていたこともあって一回も話したことはなかった。向こうは俺が同じ高校の同級生と認識してるか分かんないくらいだと思う。

どんな人なのかも知らないし、大学に行っていたのかも知らないし、今何をしていていてどんなことを考えていたのかも知らない。

友人伝いで今日の朝、亡くなったことを知りました。

 

 

 

 

駅でメールを見て立ちすくんだ。びっくりした。ショックだった。

最低かもしれないけど、その子が亡くなったことというよりも、自分と同い年の自分に近い人があまりに突然に死んでしまったということに驚いた。

 

いつも意識していないけど、「死」って本当に身近にあるって改めて思った。
考えたこともなかった。考えないようにしているのかもしれない。
20代の前半という若さでも死ぬ可能性があるっていうことに。

 

22年間生きてきて、同級生が亡くなったのは初めてで、
自分の周りの同い年の人が亡くなったのは初めてで、
今まで友達の親が亡くなってしまったり、高校の恩師が亡くなってしまったり、
祖父も祖母も亡くなったりっていうのはあったけど、
こんなにも若くしてこの世を去った人は知っている人ではいなくて。

 
もちろん日本で考えても、毎日何人もの人が亡くなっていて、
その中に何人もの若い人も含まれているけど。そんなことは分かっているけど。
自分の知っている人がっていうのは、そういうのと全然違う。一緒には絶対出来ない。

 

 

 

 

「死」は思っているよりも身近に存在する。

俺だっていつ死んだっておかしくないのかも知れないよ。

そんなことを考えたら、こわくなって、さびしくなって、どうしたらいいのかわかんなくて。

 

 

 

 

 

 

夜のピクニックっていう小説でこんな一節が出てくる。

「僕らが終わることを意識し始めたとき、急に時間は形を変える。」

 

例えばずっと楽しみにしてた旅行の最終日、
恋人とのデートの別れ際、
辛い期間が明日で終わるって時、
卒業間際の3月、
夏休みが終わっちゃいそうなとき、
GWの最終日

いつだってそう。
もう終わる、って意識したら、急に淋しくなったり、後悔したり、慌てたり。
見え方とか、感じ方が変わる。

 

 

 

どうしてだろう、人間って終わりを意識しないと「しまり」がなくなっていく気がするんだ。

 

何も考えずにただただ楽しんで現状に無批判になったり、
だらーっと日々を消費したり、
ただ目の前のことだけにこだわり続けて縛られたり。

 

それが全て悪いことだとは思わない。

 
だけど、「終わり」への意識は、一旦立ち止まって振り返る冷静さをくれる。
そして終わりに向けてのいい意味でのプレッシャーをくれる。
物事に対するモチベーションをくれる。

 

 

その「終わり」」の最終形が「死」なんだろうな。

「死」を意識してから、自分を根本から見つめなおし、変えていった人って多いと思うんだ。
スティーブジョブズだって孫さんだって田坂広志さんだって

 

「終わり」への意識って日々の生活にも、もしかしたら人生にも、大切なんじゃないかって思う。

 

 

 

 

 

 

まだまだ死にたくはないよ。
これをどうしても死ぬまでに成し遂げたいってことはまだ見つかってないけど、
それを見つけて達成するまでは生きたい。
なんで死にたくないのって聞かれたら、
まだまだやりたいこともたくさんあるし、それが出来る可能性や希望があるから。

そして自分が死んだときに1週間くらい飯も喉を通らないほど悲しんでくれるような大切な人と、
本当にたまーに「あいつそういえば死んだんだったな」って言って笑ってくれる数人の友達がいてくれれば最高だな。ただのわがままだけど。

 

 

俺だっていつ死んだっておかしくはないんだ。
そんな「終わり」がいつ来てもおかしくない。

だったら、いつ終わってしまっても恥ずかしくないような、胸を張れるような
そういう毎日を生きたい。

 

それは日々の生活でも一緒。
今日の「終わり」、今週の「終わり」、今月の「終わり」、今年の「終わり」
いろんな日々の「終わり」をしっかり意識して生きていけたら、もっと充実した生を送ることが出来ると思う。もっと毎日を大切に過ごしていけると思うんだ。

 

 

 

 

「終わり」を意識して、日々を大切に生きる。

 

それが自分に出来ること。

ありがとう。

 

ちょっとだけ疲れてきた就活生へ。

久しぶりに更新します!

なんかもー色々あったんです、ここ3ヶ月くらい。笑
いろんなことをした3ヶ月でした。

 

気づいたら、社会人になっていました。

まだまだ甘えっぱなしの、学生気分の抜けきらない22歳です。
そろそろ、ちゃんとしなきゃ。

ブログ書き始めたのがちょうど去年の3月くらい、
ちゃんと始めた理由があって、
それを思い出したら、また書かなきゃって思った。
だから今日は書きますね。

 

 

 

 

今日はねー、3月に本気で考えてたこと。

ゆるーく書きたいな、今回は

 

 

就活生のみなさん、面接はどうですか?

もう内定出た人ももしかしたらいるのかもしれないね!

去年の今頃の小清水は完全にメンタルやられてました!
1次面接が通らないわ通らないわで、、、笑

 

 

そんな自分も何とか内定を頂き、晴れて(?)4/1から社会人となりました。

内定を頂いたあと、最後の学生生活ということで好き勝手しました。
色んな価値観の人と会いました。

 

色々なことを考える機会がたくさんあった。

友達のすごく強い想いに触れて、
やっと自分に正直になった想いに触れて、
人生変えるような決意に触れて。
一方でもっともっとピュアな想いに触れて、
好きとかやりたい!にまっすぐな想いに触れて、
自由な生き方に触れて。

 


自分の選択が、分からなくなった時もなかったと言えば嘘になるかも知れません。

納得は出来ていた。
出来てると思ってた。

それを壊すほどのものを、感じてしまったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

今、就活してる人へ。

 

 

一つだけ、ただ一つだけ言いたいのは、

残り長い人生で、何がしたいのかってこと。

 

 

言い換えれば、何を大切にして生きていきたいのかってこと。

 

 

 

 

面接でも聞かれるごくごく当然のこと。
だけど、これってすごく難しいと思うんだ。

大学の4年間って、この答えを自分の中ではっきりさせるための期間だと俺は思う。

 

 

 

 

その時感じた最高の答えを信じて、就活をしました。

今でもその思いはちゃんと持ってる。

だけど、多分、そう思い込んでいただけなのかなあとも思う。

 

 

 

 

ねえ、だって良く考えて。

自分だけと向き合って、考えてみて。

 

なんでも出来るんだよ、

若いもん、やっぱり。

 

 

日本で働く必要もないし、
おっきい企業で働く必要も別にない。
むしろ、
卒業してすぐ働く必要なんてないのかもしれないよ、
バイトだって生活くらいならしていけるよ、
企業の初任給、時給換算したら、バイトの方が高いかもしれないよ

南の島で旅館とかも出来るよ、
バイト一杯して、夏は海、冬は雪山っていう生活も多分不可能じゃないよ、
ただただ自分の好きな仕事を目指して、インターンとかバイトから始めることだって出来るし、
むしろ、自分が興味のない仕事ばっかで毎日を終えるよりも、
そっちの方がずっと素敵なのかもしれないしね。

良い会社に行くことに意味はあるの?
やりたいことできる方がいいんじゃないの?
好きなように生きれる方がいいんじゃないの?
縛られる何十年を過ごすのが幸せなの?

 

 

でも、俺はこれを理解は出来ても、結局同じ判断をするんだと思う。

頭では理解はできる。だけど、だけどね。

結局、「見栄」が大事なんだと思う。俺にとっては。

 

何がしたいんだろうね、結局、自分って。

 

 

 

内定出たら、それで終わりなんだと思ってた。

いや、違うよ、みんな。これからが本番なんだよ。

今、本番を向かえて、戸惑ってるんだから。笑

 

一杯落ちるのは普通だよ、周りなんか気にしないで。
いーじゃん、行きたい会社行ければさ、
他はいくら落ちても一緒だって。
不安だよね、びっくりするくらい。
でも、すぐに笑い飛ばせるから大丈夫。
なるようになるよ、
なるようにしかならないよ。
仕事なんて選ばなければ一杯あるよ、
すこーしだけ、肩の力抜いたら、案外良い結果でるかもね。

みなさん、就活頑張ってね。応援してます。

就活生の時の僕が、今の就活生に送る手紙

こんばんは、小清水です

 

今日は東京は雪でした

朝から夕方までしこたま降って、東京で積雪は7センチだったそう。
降ったなー外は真っ白の世界

 

でもいつからだろう、
雪を見て感じることが変わってしまったのは。

雪を見て頭に浮かぶのは
笑顔ではしゃぐ子どもの顔じゃなくて
不満顔で愚痴をもらすサラリーマン

その不満顔の気持ちが少し分かってしまうこと。
いつのまにか大人になってしまったって気づく瞬間。

 

 

だけど、今日雪かきに外に出た時に
誰も踏んでいない雪をわざと踏んだ。
手袋を取って雪のふかふかな部分を触った。
無性にそうしたくなった。

そんな気持ちを見つけて安心した。

 

 

 

 

今日は去年の日記に書いてあった就活のこと、書こうと思って。

去年の4月の頭に書いたのを見つけたんだけど、なんだかあれから何ヶ月もたってるのに変わってない気がして。
そんな自戒を込めて残したいなあと思っています。

 

 

去年の4月、就活してて面接が一気に始まったころ、

心に一杯不安を抱えて、心が決まらないまま4月に入ってしまったのを憶えてる。
正直、自分がやりたいって思ってたことが本当にやりたいことなのか分からないし、
就活も成功したのかって言われればそんなことないと思う。

それはどんな企業に行くことになったとかじゃなく、自分の問題。
何がしたいのか、どんな自分になりたいのか。
結局、自分が見ていたのは自分じゃなくて、周りの目だったんだと思う。

 

それが一番の反省。
たぶん人生の課題。

 

 

4月頭に手帳に書いてた文章。内定を頂く前。

そんな心情と不安と、自分への失望と、少しの希望が全部表現されてて。

就活生に言いたいことは、自分の反省。
まさにこれを一番伝えたいなって思って。

 

 

 

4月

周りがめっちゃ内定とってる。すごい辛いし、うらやましいって思った。

だけど何がどう羨ましいのか、どう辛いのか考えてた。

それは「内定たくさんもらってすごいなー、いいなー」って人から言われるのが羨ましかったんだ。

 

 

俺は結局、どこに行きたい訳でもなかった。結局、どこでも良かった。

将来を考えることから逃げてた。ひたすら逃げてた、自分と向き合うことから。

自分の将来のイメージ、やりたいことが、なかった。はっきりしていなかった。軸がなかった。
だから周りの基準、世間体に頼る。それを軸にしてた。

 

格好悪い。自分はどこにある。

 

 

そんな奴、いらないよな。自分がないような奴なんて必要ない。
だけど、自分を持っている様に見せるられるほど器用でもない。

 

でもどっかで、どうにかなるだろっていう、根拠のない自信があった。

でもどっかで、なるようにしかならないっていう、妙なあきらめがあった。

 

どこにも、どうにかなった実績なんてないのに。

どこにも、どうにかするための努力もないのに。

 

 

 

 

自分から逃げんな

自分の人生くらい、自分で決めろ

いい加減、「人」の人生じゃなくて、自分の人生生きる。

 

心の声に従って、わがままに生きる

 

 

 

 

 

今まで、点数の世界を生きてきた。

小学校も中学校も、点数があった。
君は何点、僕は何点、赤点は何点以下。
高校になったら偏差値もあった。
この大学の偏差値はいくつで、今自分はこれくらい。

多分自分はこんな世界を生きてきてしまった。

 

 

この世界ではあまり考えなくて良い。
この部分からこの部分までが試験に出る、だから憶える。
そうすればいい点が取れる。
いい点が取れると気持ちいい。褒めて貰える。すごいねって言ってもらえる。

基準が一つだけの世界。
数字という基準で、それをただ上げればいいと思って(思わされて)きたんだと思う。

そこに自分の想いとか意思はほとんどない。
思考停止を起こしていた。
点数が上がれば「いい」、人より良ければ「いい」。

そんな世界を生きてきた。

 

 

 

そして就活。

今まで頼りにしてきた数字という、この世で絶対正しいと無意識に思っていた基準。
そんな基準はこっちの世界ではどこ探してもなかったんだ。

あるのは一人一人別々の基準。
共通している基準なんて、もうなかった。

 

それをすごく息苦しく感じていたんだと思う。
今まで思考停止してきたことを考えないといけなくなって、
それから逃げていた。
共通した基準が欲しかったんだ。
それをすれば絶対に良くて、人からも評価されるような、そんな基準。

なかった。
どこ探してもなかった。

 

 

そして結局俺は人にすごいねー良かったねーとか言われたかっただけなんだ。
評価されたかっただけ。

 

 

 

 

こんなことをしっかり意識出来たのが4月。
本当に遅いし、つくづくそんな自分が情けないと思う。

だけど、それも事実。課題。

 

 

こんなことを感じる就活生はいないのかも知れない。

だけど、もし一人でもいて、もし悩んでいたら。
一人じゃないと気づかせてあげたい。

そしてもし就活のアドバイスを求められるとしたら
この文章をそのまま送る。

 

 

 

後輩の就活、全員、納得のいくものになって欲しいなあ